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珍しく日記

2009.08.05 *Wed
昨日は身内の法事で、今日は自分の誕生日。
そういう切り替えがあるせいかいろいろ自分のこととかきがついたり考えたとかいうそんな話。
最近できた知り合いで、小説を書くのが好きで、小説家になりたいという人がいる。でも、私から見ると、その人が小説書くことに見出しているのは「認められたい・自分は認められるべき存在だ」という強い気持ちと不安定な自信、どこか夢を追って現実を見ていないという風に見て取れて変な気分になった。その人の書く小説はジャンルがどーしても苦手なので読む気にもなれないしたぶん一生読むことがないのでその人の才能はよくわからないのだが。なぜか断言できるたぶん、書いても売れない。あるいは認められない。自分で考えておいてすごい失礼だ。失礼なのがそうな気がして考えがくつがえらないのは何でだろう?
私も小説を書くのは好きだった。でも誰かが読んで、それを認めてもらいたいかというと、そうじゃなかった。だから今では小説を書いたりするけれど、誰かが好きになるかもしれないし、誰も見向きもしないままとおりすぎるかもしれない、たまたまそこにあるのを誰が拾うかな。なんて思って書いていたりする。
なんでだろう?
漫画はエンターテイメント。私の好きな漫画家さんのあとがきコーナーで書いたあったものを不意に思い出した。それで、ああそうかと思った。
ああ、あの人はエンターテイメントとして、万人に認められるように自分の小説を加工する気がないからだ、だから不自然に感じたんだ。となんだか急に納得した。
どんなに才能あふれてすごいもの、大きなショックを受けるようなものなら人はたぶんすぐには認められないのではなかろうか。あるいはそんなショッキングなものばかりだったら人は目をそらしてしまうのではなかろうか。だから書き手は相手がいるとわかったときからたとえばショッキングな出来事もソフトにソフトに、加工するのではなかろうか。読みやすいように、楽しめるように。
あの人は認められたいとは思うけれど、相手に認めてもらうことを考えてない。それはエネルギーの無駄使いだと思う。
そして私は書くのは好きだけれど、人に認められたいとか思ってない。いや、多少はあるかもしれないけれど、でも少なくとも読者を求めてない気がする。
日記なら、読者が居なくても納得する。自分の記録だもの。でも、小説は妄想を書き散らしているに近い。起承転結もちゃんと決めてあるし。完成を決めていたら、完成を目標に書き続ける。
何でそんなことを私はしているのだろう?
それを書いて読者がいらないのはなぜ?
一年を振り返って自分でもちょっと気がかりになことがあった。それは自分の身の回りが恐ろしくすっきりしたこと。一年前に比べ私のものは3分の1は消滅した気がする。一度手にしたもの――自分で手に入れたものは特に――は自分で手放すことがない性格を熟知していたのに、それがものすごく減ってしまった。引っ越すといわれたら準備が一日で終わりそうなくらいに少ない。
それでも捨てられなかったものがある、それは私の中学時代からの落書き長と書き散らした文章メモ。
私は自分の書いた文章が好き。
はたから見るとすごい変人。ナルシストじゃないだろうかと思う。日記ならともかく空想小説だし。私が書いてきたもの。私の記録。日記じゃないけれど記録。独特の世界観と主人公は多分私が現実にシフトするわけにはいかない個性と願望がある。私は多分それを徐々に徐々に、小説という形で記録している。
よんで、読み直して私の世界を思い出す。今もなお私が変わらない事を知る記録。私が捨てられなかったのは私が作った空想世界の記録。現実につながらない空想の世界なので、これで私は生きていけない。でも加工するつもりもない。たぶん、私の変えたくない大事な部分なんだろう。
―――と、いうようなことをお坊さんのお経を唱える後姿を見ながら考えていた。ひとつ自分のことがわかった気がした。おお、よかたよかた。逝った身内がお盆に帰ってきてなんか手助けしてくれたのかしら?
よく考えれば、その翌日の今日は私の誕生日なんだよね。ちょっと早いけれど案外いい誕生日プレゼントを身内はくれたのかもしれない。

ある本を読んでいた。それはすごくわかりやすくて、参考になる本だった。
それは親が気をつけること、という教育本に近い内容だった。子供のことについてとても詳しく書かれていて、すごくわかりやすい。でも、私の位置はその本の中では子供である。
その中には書いてない。親に理解してもらいたかったけれど、親に理解してもらえなくて、子供が自分を認めるために子供のことを調べたこと。そうして自分のことを知ったこと。今もなお、親とは分かり合えない溝があること。そういう例えはないのだろうか?知ろうとしたのは子供。親に埋められない理解を求めるよりも、子供が自力で生きる方法。
子供が、自分で切り開こうと思ったらどうすればいいのだろう。
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